INTERVIEWwith
INTERVIEW DIGEST
株式会社田中工藝(前編)
取締役 田中 智也さん
株式会社 田中工藝は、オーダーメイドのキッチン・洗面などの設備から家具・収納まで唯一無二の「理想の暮らし」を実現すべく“RILNO(リルノ)”を2017年より始動。
創業100年を超えるモノづくり企業の事業として、CI再構築やネーミング・VI構築・プロダクトデザインを実装してきました。
WEBページやカタログなど、田中工藝の想いと統一された世界観で表現し、認知度を拡大させ、売上は倍以上へとアップ。“RILNO(リルノ)”ブランドは暮らしのデザインを展開しています。
田中工藝のこれまで
田中工藝の事業内容と、会社内での田中さんの役割について教えてください。
田中工藝は、祖父が創業して現代表が3代目ですね。元々の事業は量産ビジネスをやっていました。2011年に業績が落ち込み始め、設計部署を立ち上げるから大分に戻ってきてほしいという話が親父(社長)からあって田中工藝に就職しました。
当時は、マンション販売でのキッチン量産からオーダーへ移行しだした時期で、意匠的なオーダー用の設計要員というより、製造の製作図設計を担当、それからいろいろな変化があり、現在は取締役としてRILNOプロジェクトを進行しています。
設計部立ち上げ当時、売上や状況はどうでしたか?
僕はオーダーキッチンをやる上で、ブランディングが必須と思っていました。この業界の中で「田中工藝=量産屋」っていうイメージがすごいあって。
数万円のキッチンを作っている会社が“オーダー”って名乗ってもやっぱりあまりイメージが追いついてこなかったのは、大変苦労した時期でしたね。
追い討ちをかけるように2011年、リーマンショックで苦境に立たされ、2年間ぐらいで5分の1程に売上が落ち込みました。うちの会社でいう、どん底の時でした。
脱却しないともう後はないという状態でした(笑)
きっかけ
FANFAREに依頼したきっかけ
FANFAREへ依頼することになったきっかけは何でしたか?
FANFAREがディレクションしている“bud brand”に、福岡の設計事務所さんから一緒に出展しようと、声をかけてもらったことで出会いました。
オーダーの事業をやり始めてブランディングが必要だと感じていたところ、FANFAREの取り組みや事業内容がやりたいブランディングのかたちにマッチしていたのがきっかけでした。その後、5か年計画でブランディングに対する事業報告書、計画書で資金調達をした上でFANFAREに依頼しました。
シフトチェンジ
当時の問題点・課題点
依頼をした当時の問題点や課題、社内の状況は?
社長と僕でオーダーに進もうと話を進めていました。従業員とも「これ(ブランディングの確立)しかないっ!」と、話をしていましたが、当初は大変なことが多々ありました。
元々は量産を主にしていたので、一世帯にひとつずつ作っていくと手間が掛かるだけですし、制作の手間・工数が掛かる。
「それで本当に利益が出るのか?」という疑問と不安はかなり社内にあったと思います。
体力勝負のような、いかに時間内に製作台数を増やせるかみたいなところから、どちらかというと頭を使うことに完全にシフトチェンジしようとしてましたから。
外部(クライアントや取引先)から見た田中工藝の印象は?
オーダー業界の中には田中工藝って名前・認知は全くなくて。
木工業界・製造業では、完全にOEMをやっている会社で、尚且つ一番メインだったのは、賃貸のキッチンを低価格帯で作っていたので、量産のイメージはあったと思います。
チャレンジ
取り組みとプロセス
今はサンプルボックス、CIの再構築、新店舗のサインデザインとかをさせてもらったり、アウトプットに関わるところはほぼ全部やってきている中で、一番印象に残ってるのは?
やっぱり最初のスタートでネーミングが印象的でした。
田中工藝っていうのを打破する訳じゃないけど、新たなチャレンジとしてRILNOを見せていかないといけない。
当時、FANFAREからはいろんな提案を出してくれました。僕含めて社長と打ち合わせをしてもらいながら、想いとか、どういうブランドにしていきたいかの話をして、ブランドのネーミング案をもらいました。
“ネーミングとブランドの想い”そこをヒアリングで汲み取ってもらったこと、それが一番印象には残ってるかな。
事業内容:オーダーキッチンの企画・製造
オーダー洗面化粧台・家具・収納の企画・製造
集合住宅向けオリジナル
キッチン・洗面・家具の企画・製造
店舗・オフィス向け家具・什器の企画・製造
住宅設備機器の販売・施工
設立:1950年
事業所:RILNO大分本社/工場
RILNO東京
RILNO大阪
RILNO昭和の町
大阪南港センター
従業員数:85人(内パート8人)